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日本語むつかしい 日本語むつかしい

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文章スキルがあったらいいな、というお話。 前回も書いてて思ったんだけど、素材をそろえてもフォーカスが合わないです。つまり、「つまり何が言いたい」のかが分からない文になってしまうのです。

日本語って誰でも普通に喋るし書けるのですが、絵と同様に、上手い人が見ると本当に「ヘタクソ」なのが分かります。絵は描かなけりゃ済みますが、文章はね・・・


ご存知のとおり、このサイトは貰ったコメントに基本的に返信してません。 なぜかというと、コメントはコメントで、ディスカッションじゃないからです。 (議論するなという意図は無いです)

だからといって、頂くコメントが軽いというわけではなく、それぞれがフィードバックとしてとても有用です。 前回も興味深いコメントや、興味深い考察を引き出せるコメントがいくつか貰えました。

コメントにほとんど反応しないの分かってるのに書き込んでもらえる・・・ありがたいことです。

Comments:19

ちき 2005年3月 6日 00:24

絵・・・なんとも言えずいいですw

コミュニケーションは本当に難しいですね。
口は災いのもと?

泗水 2005年3月 6日 03:36

僭越ながら、「主張したい事を伝える」のに
最も単純で効果の高い方法として
「自分の主張したい事をまず最初に書く」
というのがよろしいと思います。

その後、「何故なら~」というように続けるわけですね。

まぁ、思考垂れ流しの文章でも、心情はある意味そのまま伝わるので、
売り物でない分は好きに書くのがよろしいと思いますけれど。


|-`) ヒョウジョウガイイデスネ

naka 2005年3月 6日 03:44

腰のくびれがいい感じですw

人に自分の考えを伝えるの難しいです・・・
同じ意味でも人によっては傷ついたり、何も感じなかったり、
意味が通じたり、誤解されたりと・・・
たまに話すのが嫌になったりもします・・・orz

文章力がないので、書いては消しての繰り返しです・・・
上手になりたいですねぇ

Armon 2005年3月 6日 10:31

とりあえず論文の書き方にも似てますが、以上の点を注意すれば割とマシな文章になると思います。

・主張
・主張する根拠
・主張に対する否定
・否定を踏まえた上での根拠の裏付

主張を一度否定してそれを再び肯定することにより、主張に説得力を持たせることが出来るということです。
まぁ口で言うのは簡単なのですが、いざ否定してみたらそのまま挽回できず、結局主張自体が否定されてしまったという自体もしばしば……やっぱり日本語って難しいですね。

そして私は今、この腰のくびれに誘発された興奮をうまく言葉にあらわずにいる。ハァハァ……

ふぃ 2005年3月 6日 14:47

くびれ(・∀・)イイ!!

じゃダメなんでしょか。

神野純哉 2005年3月 6日 20:40

スクラッチボードでしょうか。むむ。色具合もそうですが、やっぱり……腰がいい(何)。で、文章スキルはオイラも欲しいです。生きてる限りは絶対に必要ですしね。
あぁ、でもコメントを書残していく一番の理由は、れふぇさんの絵が好きだからですよ(笑)。可愛いですし(何)。難しい話とかへのコメントは、1ではなくても0.01くらいは参考になれば、という意図です。……あれ。なんか反れたかな(汗)。
やっぱり文章に関連するスキルが欲しいです(泣)。失礼な文になっていたらすいません。ではでは。

会社員T 2005年3月 7日 03:35

 すごく非科学的な単語になりますが〝言霊〟を込める・相
手に送ることが、文章を書くことにも、喋ることにも必要な
んじゃないかな、と思ってます。 言い方を変えれば、伝え
たい気持ちを込めて書く、喋るということが第一になるかと。
 文章スキルとかテクニックは、それらの土台にして建つも
のであり、逆に土台がしっかりしていればなんとかなるもの
ではないかな…、などとも思います。
 絵もそうですよね?「可愛く描こう!」という気持ちが無
いようなキレイな絵は可愛くないし、魅力も無いですもん。

Furcas 2005年3月 7日 17:48

絵にしろ文にしろ万人に通じるものはないと思っています。
ただ、善処することでマシになっていくだけで。
今こうしてれふぇタンの絵と文は少なくとも数人のコメント者に
伝わってる訳だし ・・・
日本語という範疇である限り何かしら伝わるものがある。
それ以上は生きてるだけでもちびちび磨かれていくものだと信じ、明日もまたヒトの波に飲まれていくのれす;´Д`)

絵・・・えろカワイくて 構成かっこいい。完璧ですやんw

なせり 2005年3月 8日 02:05

相変わらず素敵な絵にございますー。

文章力って本当に大事ですよね。大事なときに伝えたいことをちゃんと伝えられないとき、本当に悔しいものです。
日頃から新聞を読めなんて言われますが、新聞にかかわらず文章を読めば少しはつくんだろうな、と思いながら読まない私orz
あと、タイミングも大事・・・
知り合いのおにーさん、ほんとにゴメンナサイ(ぇ

into 2005年3月 8日 19:48

ここ最近の文章は面白いですよー。主張もはっきりしていますし、物語としても成立してるし。

別に、他人になにかを伝えるのは、なにも論理的な文章だけではありません。ロゴスとエトスは対立二項ではないですが、共感を得るためには物語構造の方が理解しやすいことも少なくないです。人間は、論理ではなく物語の中にこそ生きている――と云うのは極論ですが。
それに良い文章の方が理解を得られるかと云うとそうでもないですし。
主張が拡散するのは、文章が下手と云うよりは、意見が収束していないからであり、そう云う混沌の状態は、下手に収束した意見よりも有効な思考を促します。

兎角、思考を促すという意味では、どんな文章にも書かれるに足る存在価値があるのですー。
でもまぁ、時間を割いて読む価値があるかというと別問題で、その辺は書き手よりも読み手の問題というかなんというか。

そういう意味では、blogって云うのは書き手と読み手の乖離を埋めるに有効なツールなのかも。


それにしてもれふぁさんの色遣いはやっぱり良いなぁ……

op 2005年3月 9日 03:21

DLsite.comの雛祭絵も可愛くていいですねー。

pincho9jp 2005年3月 9日 21:58

文章力の有用性を示した言葉に、
「ペンは剣よりも強し(言論は暴力よりも広範囲に、長期間影響力を持ち得る)」というのがありますけれども、
「自己表現のツールとして、文章よりも絵のほうが数倍強力である」とも思います。
私はれふぇさんに、特別「文章力が無い」とは感じないです。必要十分なだけの文章力を持っていらっしゃると思います。
私は「特定個人を不要に傷つける文章を書く」とか、「誰にも何の感銘も与えず、自分個人にしか意味の成さない、独りよがりで意味不明の文章を書く」なんていう人が、本当に「文章の下手な人」だと思うのですが、れふぇさんは、そうではないと思います。
ボキャブラリ、論理構築力など、テクニカルな部分を追求すれば「キリが無い」と思うのですが、これらはむしろ「枝葉」ではないかと考えます。
絵で言えば、「言葉選びのセンスは、色使いのセンス」「論理構築力は、絵のレイアウト能力」「簡潔で明瞭な説明能力は、基礎デッサン能力」に相当すると思うのですが、仮にそれらが完璧でなくても「良い絵」は存在すると思います。
同様に、文章にも「テクニカル面を見れば<完璧>では無いが、良い文章」というのが存在しますし、「完璧」に近づけようと思えば絵と同様に膨大な学習コストを要求されると思うのです。
1「すでに、絵という強力な自己表現ツールを持っていて、特定多数の人に強く支持されて、不特定多数の人にも知られている。BLOGの文章にも、固定ファンを中心に確かな反応がある。その上に、あえて(プロ並みの?)<文章力>を自分に課す必要も無いのではないか?」
2「現状でも、世間一般の基準と照らし合わせて、標準以上の文章力を持っている。(「プロの売文家と比較してどうこう」という話しをすれば、別かもしれませんが)そこそこ可愛い女の子が、テレビタレントと自己を比べて、自分の美醜に悩むような話ではないか?」
3「文章を追求するにも、絵を追求するのと同様にコストが必要で、追求すればきりが無い。必要以上に拘っても、コストが割れる。切実に<文章力の向上>を求めるのでなければ、あんまり気にしないほうが、精神衛生上、良いのではないか?」
ってなことを思います。
(あと、実際問題として「論旨が明快。簡潔で歯切れの良い文章(主張の強い文章)」というものを、「何となく偉そうで、不愉快な文章」と読む人も居るから、そういうものを追求するのは「処世術として、あんまり得策ではない」という個人的な感想も持ちます。。。。)

pincho9jp 2005年3月10日 00:06

(ところで、上の文章には、日本的な「お約束」がいくつか守られていないです。「初書き込みなのに挨拶が無い」とか、他にも色々)
偉そうに講釈を垂れるみたいで恐縮なのですが(と、「お約束」を気にしてみる)、個人的に「何か新しいスキルを開発するときは、既に獲得したスキルの学習過程を応用するのが良い」と考えます。「文章力を充実させたい」とお考えであれば、一つ「文章の構成や、文章修行の過程を、<絵>に比較して考えてみる。自分の目指す文章のモデルパターン(完成形)や、そこに到達するまでの修行過程を明確に思い描いてから、本格的に取り組む」というのがよろしいかと思います。

絵を描き始めるとき、まず漠然とアイディア・コンセプトを浮かべると思います。(対比的な女の子の二人組。天使と悪魔。天使のほうが不貞腐れていて後ろ向きのアングル、悪魔のほうが柔らかい表情で正面向き。白と黒の衣服。槍と鎌を持っている)最初から明確に完成イメージが沸く場合と、描いているうちにコンセプトが変る場合があると思いますが、「自分の絵が描かれていくときの過程」には、文章よりも明確な「自分なりのパターン」が、一つ、あるいは複数見えていらっしゃると思います。その過程を文章作成に適用するという考え方はどうでしょうか。

文章を書くときにも、同様に「いきなり書き出さないで、書く前に何を書きたいのか明確化してみる。ラフな下書きを書いた後で、<完成品>を書き直す」というのが、有効だと思います。(職業的な作家で無い限り、意識的に「下書き」の過程を作業化している人は少ないと思いますけど、、、、)

絵の場合には、「脳内イメージ」「思いつきの落書き」「完成作品のための下絵」「完成作品として作り上げることを前提とした作業」という段階を踏むのが一般的だと思います。
文章に関しても、<完成度>を追求するならば「脳内イメージ」「メモや、下調べ」「完成作品のための下書き」「発表を前提とした作品の製作」という過程を踏むことで、特別な文章修行をしなくても、確実に完成度は上がります。
「自分がどうしても文章で語り伝えたいこと」が明確にあって、「多少の時間コストを犠牲にしても完成度を高めたい」と思うときには有効だと思います。
また、「何文字で書く」「何分で書く」というパターンを作り上げるとか、自分のパターンを把握してみるのも有効です。「文章を書く」という作業自体をパターン化して、コスト管理が出来るようになれば、「書き続けること」が楽になります。

さすがに一回一回、そこまで手間をかけては居られない、というのであれば、「画力」に相当する「文章力」を向上させるしか無いのだと思います。
これも「何を持って画力とするか」に幅があるのと同様、「何を持って文章力とするか」には、幅があると思います。
題材選びの良さなのか、論理構築力なのか、視点の面白さなのか、表現の独創性なのか、ボキャブラリなのか、リズム感なのか、分析力なのか、説明能力なのか、、、
絵に関しても「沢山描けば嫌でも巧くなる」と同様に、文章も、「ずっと書き続ければ自然に向上する」と思います。
しかし、どうしても「短期間で向上させたい」と思えば、目的を明確にして「意識的な反復練習を繰り返す」というのが有効だと思います。
「自分の書きたい文体の完成形イメージ」を思い浮かべて、「現状で何が足りないか」を考える。それを獲得するための練習をする、、ってことで、スポーツの訓練などと同じですね。一般論的な「文章講座」とかは、あくまで一般論なので、「表現者としての自分自身が目指すもの」を示唆してくれるとは限らないと、私は考えます。(一般的な論文や感想文を書くために有効なアドバイスが、詩人の<文章力>に貢献するとは思わないし、れふぇさんが追求したいのはBLOG内での「俺流」であって、新聞の社説や学会の論文では無いのだろうし)
結局「将来の自分自身が獲得したい文章の方向性や、芸風」というものを思い浮かべて、それに近づくようにする、、、っていうようなシステム作りが有効だと思います。リスペクトする特定の文章家を持つならば、とりあえず真似てみる。無ければ、自分の頭の中にある「将来の自分が書く文章のイメージ」を追求することになると思います。

絵と同様、文章も「癖があって、アクが強い」という芸風は「特定少数向け」、「基本に忠実で、透明感がある」という芸風は「不特定多数向け」だと言えます。前者を目指すのであれば、欠点や癖を「あえて直さない」という開き直りもアリだと思うので、書きたいままに書き綴ればよいと思います。(「好き嫌いの分かれる画風の漫画」みたいな感じですね)
後者であれば、ひとまず一般的な文章の書き方に忠実に従いつつ、じわじわと自分流を確立していけば良いかと思います。

論旨や主張を明確にしたいために、あんまり遠慮の無い書き方になっていますが、失礼に感じられたら済みません。(「気遣いのある、やわらかい文章」を書こうとすれば、「全体として玉虫色の文章」になりがちなので、、、)

pincho 2005年3月10日 01:00

本当は「~と、思います」ではなくて、断定的に「~です」と言い切るか、「~と考えます」にするほうが主張がハッキリするのですが、日本語の文章で、特定の相手に対して書く文章でそれをやると、すごく「偉そう」に見えちゃうんですよねー。。。^^;

自分の考えに基づいて書いているのだから、自分の意識外にあることまで分かりえるはずが無いし、「自分の考えが唯一絶対の真実であり、自分の事実認識に錯誤が一切無い」なんてことを心底確信できるのは、全くの狂人だけなんですけど、「自分の考えを明確に述べる」というためには、断定的な言い方をする必要があります。そうしないと、くねくねした印象の、不明瞭な文章になりますので。
「自分が現時点で考えたベスト」を語り、あとで「あ。間違ってた」と気づいたら訂正するとか、「考えが変りました」と表明すれば良いだけだ、、、という考え方も出来るはずなのですが、「日本語で文章を書く」という作業の中には、「あらかじめ、受け手がどのような感想を抱くか先回りして考えて、特定少数や不特定多数の人に不快感を与えないように、言い回しを配慮したり、自分の考えを書くときにも<あくまで一個人の感想として述べています。自説が絶対であるかのように考えているわけではありません>という断り書きをする」っていうような「気遣い」が求められるシーンも多いですよね。。。

文章を書いているうちに、わけが分からなくなってくる理由の一つには、どうもこの「他者の感情を配慮した気遣い」に引きずられるケースがあるように思います。(かといって、「一切無視」というのも、どうかと思いますけど)

YAHOO掲示板などでは「自分の意見をストレートに主張するということは、時節を理解しないものを愚弄しつつ、相手を言い負かすことだ」と勘違いしている「論理派」と、「討論とは話し合いであり、双方が感情的に納得することが目的だ」と考えている「情緒派」が、戦いになっているのを良く見かけます。

戦闘的な討論をしたいロゴス派の人は、論争自体をゲームだと考える一方で、理屈の話が出来ない人を軽蔑しています。
一方で、感情的な交流を持ちたいパトス派の人は、掲示板で対話することを、日常の楽しみだと考えていて、強い主張のある文章(というより、その背後にある自己主張)に対しては、嫌悪感を示します。
「日本語で文章を書く」という作業には、「どんな感性の人を読者として想定するのか」というレベルの「方向性」が先に来ると思います。「人を見て法を説け」では無いですが、「誰が買うのか」というユーザー想定が無ければ、商品コンセプトも明確化しないです。
英語などで文章を書く場合は、これがダイレクトに「教養水準」になるみたいです。単語の選び方から何から、全部変るそうです。これを間違うと、馬鹿にされるか、そっぽを向かれるらしいです。(日本では、ボキャブラリの選択は「教育水準」よりも、対象読者層の「属性」によって選択されますが)

日本人は、教養水準や教育水準が均質化されているし、その平均は高めだと思います。ですから「決定的に理解力が無くて、どんなに意を尽くしても一切話が通じない」とか、「全く言葉を知らない」という人はあまり居ないですね。(漢字や漢字語、外来語に対して強いか弱いか、などはありますが、論理能力が「まるで無い」人というのは、ほとんど居ないと思います)
逆に、「宗教観や人生観によっては、特定の考え方を受け入れられないということもありえるし、そのこと自体は善でも悪でもなく、そういうものなのだ」などということは、なかなか認識されないと思います。「<みんな>に分からないものは悪い(逆に、<みんな>に分からないものを分かる俺って賢い)」という認識と、「<みんな>が分かりえるものを分からないのは、分からない奴が悪い」っていう認識があると思います。

なんか、こんなような事どもが、「日本語で文章を書くことの難しさ」の根底には、あるのではないかと日々感じています。

ブランカート 2005年3月11日 10:03

前の3人のように長くかけませんので短く。
日本語は世界の言語の中でも1番難しいとされています。
だから使っている私たちもうまく使えないのだと私は思います。

むぅ。絵を見てしばらくからだが動きませんでした。
(上半身上げてくれーーーーーーーーー!)←馬鹿

Armon 2005年3月11日 10:51

phinchoさんの書き込みを読んで、とても勉強になりました。

ただ私みたいな根本的に文章力の低い人間だと、語彙の少なさのために自分の伝えたい気持ちをうまく文章に表せないというケースが発生します。

例えば、今の書き込みの一行目を書くにしたって五分近く推敲しました。まず最初に、phinchoさんの書き込みを読んで「これは凄い。よく考えていられるなぁ。それに他人に伝わりやすいようにちゃんと整理されている。こいつぁ大変勉強になった」と、いう旨を伝えたく文章を書き出したら、これがなかなか。

最初は「pinchoさんのおっしゃられる事は大変参考になります」と、書こうとしたのですが、これだとなんだか政治家の反論のスタートみたいで否定と捉えていると思われるかもしれないし、なにより自分が偉ぶっていると思われるとアレだと思いやめました。所詮私は謙遜ジャパニーズです。
次に「Phinchoさんの論文を読み、大変勉強になりました」と、書こうとしたのですが、「論文」はちょっと違うだろう。小論文?それもなんか違う。意見?発言?だからなんで政治家チックなのさ。やっぱ学が無いくせに学のあるような文章を書くのはよそう。

と、ぐだぐだ考えてやっと一行目が完成したわけです。日本語にはもっと今の気持ちを的確に表現できる言葉があったのでしょうが、生憎私はそれを知りません。だから稚拙でもかまわないから、なるべく自分の気持ちと差異が無いように書くよう心がけているつもりです。

そんなわけで稚拙ながらもストレートな気持ちをひとつ。
ボクはれふぇさんの描くたゆんたゆんのおっぱいが大好きだ!!

kirito 2005年3月12日 20:32

はじめまして、今晩和です。
「ルカ」の関連からHPにたどり着いたものですが、少しだけ書き込みを。

BLOGでは関係ない話なのですが。
会話の際には内容だけでなく、「言霊」って言うのは確かに必要だと思いますね。
「言霊」では怪しいのならば、言葉に乗せるイントネーションと言うか。
音の響きだけでも、けっこう感情などは出てしまうものですし。
常に意識の何割かは、内容の理解だけでなくその響きの処理に向けられているとも聞いたような。
なので、特に誤解されたくないときほど言葉のイントネーションには気を使うこの頃です。

とまぁ、良くわからない文章になりました_| ̄|○|||
日本語って難しいですねーと寝そべり万歳っ!で本日はこれにて。
乱文、失礼しましたー。

MIKADO 2005年3月15日 05:57

つぶれた乳がはみだしてみえてハァハァ(;´Д`)

あ、私の思うところを一つ。
結局「自我」とか「アイデンティティ」なんてものが存在する以上意思の疎通が100%はかれるはずもなく。
言語とはその意思疎通のツールの1つだと思うんですよね。
どれだけ自分の意思を相手に伝道損失を少なくして伝えるか、これが文章力だと思います。
んで、結局私が「何を言いたいのか」というと其処まで難しく考える必要は無いんじゃないかと。
確かに意思疎通の不足による齟齬が起きたすることはあります。
ですが相手を理解しよう、何とか相手にこの想いを伝えようという気持ちさえあれば、
100%とは言わないけれどそれに近い形で意思の疎通はできると思います。
まぁ、その姿勢ができないかたも結構世の中にはいらっしゃるのですけどね(笑)

なんとなく 2005年4月 9日 17:56

文章は難しいです。
でもだからといって意識し過ぎると、より変な文章を書いてしまうものです。
あまり呼吸を意識すると、自分本来の呼吸を忘れてしまうように。

綺麗に書く練習は良い。
けれど、実際に書くときは意識しすぎない方が良い。

ところで絵ですが、木陰の描写が良いですね。

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