お金が、お金に価値があると人が信じるからサービスや物と交換できるのと同じように、
金融も、金を融通できるのは先にお金があると信じているからに他ならない。
神が、神を信じる人々のもとに現れるのと似ている、と言ったら怒られるだろうか?
たとえば、ジンバブエ。かの国の通貨の価値はほぼ0だ。誰も価値があると信じていないとうことだ。ほぼ0なので、価値のある紙幣を作るには無限の値が必要になる。1÷0はいくつか、ということ。
たとえば、下っ端のくせにお金をたくさん借りて立派な家を買うというのが流行っていた国があった。借りるのは、返せると信じていたから。当然、下っ端向けの下っ端住宅ローン屋も、返ってくると信じているから貸していた。下っ端から立派な金融屋、またはあなたの雇い主までが、とても多くを信じていた。将来にわたって、ある多くのお金が存在すると、信じていた。
今はその信じ(させ)すぎていた分が中立に戻りつつある状態。中立に戻るのだから良い事だが、ちょっとものすごい量の、あると信じられていたお金が、消え去っている。
信じるのをやめるとその途端に消え去る。いずれも。
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ドバイは誰も信じていないが、ドバイに執心な人々は誰もが自分はチキンレースに勝てると信じている。
バベルの塔の群れ。
あれほどの都市の廃墟。いつ見れるだろう。
神を忘れるのに十分な絶景だろうか、
それとも、神を想わずにはいられない奇景だろうか。
楽しみで仕方がない。
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食品とか建築とか医療とか政治とか金融とか、なんだかんだで不信ばっかで1年おわったね。救急車たらい回しとか勘弁してくださいよ。「疑」の年。
と、なんとなく思ったけど、去年が偽の年だったから順当すぎてだめだこりゃw
変でいいですもう。
ところで「冬はカラー本2つ」とか、まさか信じてた人いないよね。
エア同人誌!
オッケー!